
代表の想い
”透明な子ども”
を無くしたい
子どもの声が社会に
伝わらない事に気づいたのは
母が見せてくれたとある新聞記事
それはネグレクトを受け、布団の中で亡くなった女の子の記事。
この子の助けを求める声が誰かに届いていたら。 どこかで保護されていたら、
死なずにすんだのかもしれない・・・当時同じ小学生だった私は衝撃を受けました。
いつも母は子どもを取り巻くニュースを私に見せ、
可哀想に、こうしたらいいのに、と話してきました。
そして母はこう言いました。
「あなたはこんな風にされたら、絶対に逃げなさい。隣の家に助けを求めなさい。」
きっとその子どもは助けを求めていたに違いない。伝わらなかっただけ。
自分は自分で作ったもの?
それとも環境が作った人間?
自分の考え方、生き方の選択肢が
生まれた環境にあまりにも依存する現実。
中高ではエンジニアを目指すが希望の大学に入れず、進路変更で歯学部へ。
大学の友人らの家庭の裕福さに驚く。 同時期にアルバイトの家庭教師に夢中になる。
ここでは家庭内でトラブルを抱える子どもたちと出会うことが多かった。
家族の間に入り、仲介をして勉強以外のサポートをする機会が増えていった。
自分はいつも子どもと家族の困難をかかえるところに携わり、貢献するのが好きだと気づく。
一方で金銭面では裕福ではないのに、子どもはのびのびと育つ家庭ともいくつも出会った。
家族との関係性が最終的に大事なのだと思うように思考が変化していった。
そんな時もう一度自分を振り返ると、自分は浪人し大学に行くという
選択肢を用意してもらっていたことに気づく。留年も経験し、
色んな失敗をみんなにフォローされながら、親の環境因子の恩恵を受けて今の自分が有る。
思い返すと、高校で一時期学校に行けなくなり、保健室登校をしていたとき。
消えてしまいたい、と家を飛び出したとき。
私の最後のSOSに気づいて、止めてくれたのは母親でした。
今の自分は、一人で作り上げたものではなかった。
今まで自分の努力で人生を選択し、生きてきたのだと思っていたのに。
自分はここに生まれていなかったら、どんな人生を歩んでいたんだろう。
お金も家族もない子どもは
どこに?
そこで新たな疑問が湧いてきた。
お金も、家族もいない子どもたちはどうしているのだろう?
困った時、人生で立ち止まった時、誰に支えてもらうんだろう?
今までの自分の人生で出会った記憶はなかった。
いや、きっと気づかなかっただけ。あの新聞の子のように、声が届いてないだけ。
そんな気持ちが止まらなくなり、
家族と暮らせない子どもたちがどう過ごしているのか調べ出すようになった。
孤児院、養護施設。聞いたことは有るが、自分の人生で関わった記憶はなかった。
関わろうとしても福祉職でない自分がこの分野で関われることは見つけられなかった。
唯一「里親」は、自分が直接親と暮らせない子どもたちにできることだと知った。
寄付で応援したり、世界の子どもに関わる他の選択肢も体験したが
身近にいて大きな困難を抱える、
"透明な存在にされてしまっている子ども"に、直接、関わりたい。
その子どもたちの声を聞いて、困ったときにすぐ側で手をつなぎたい。
その思いはずっと消えなかった。
こうして20歳のときに、自分の一生涯の夢を「里親」だと決めた。
自分の家族を持ち、実子と混合で里子を育て、里親をしていることを公表し
里親のロールモデルになりたい。
できれば、国の財政に依存せず、里親を広めたい。
一部の人しかなれないという固定概念を覆したい。
里子で関わった子どもたちに「頑張ってやり続けたら、何か変わるよ。」と言いたい。
そこでまずは自分の夢をかなえるために、まずは歯科医師になることにした。
色んな人が関われるように、働きながら、里親になる方法を探したかった。
これって自分にも
起こりうる事だ
虐待、孤独って自分に関係ないことじゃない。
その後結婚。転勤先の宮城県石巻市で出産し、子育ての大変さを味わった。
頼れる人が身近におらず、自分も子どもに虐待しそうなときが何度もあった。
家庭内でうまくいかない人の気持ちが少しずつ分かるようになった時、
特殊な人だけが受給者になるのではなく、誰もが困ったときに子どもを支えてくれる
制度が必要だと実感するように。
一方で転勤族で2年毎に移動する家族と一緒に、不安も増えていく。
友人関係も一からやり直し。家族も反対する。
子どもに関わりたいだけなのに、こんな状態で里親の登録はできるのだろうか。
もっと興味がある人が関われる制度を作りたい。
自分だけで里親をしても、受け入れられる人数にも限界があり、
なにより今いる子どもたちに繋がるために、各地域に受け入れてくれる人が必要だった。
そう決意し団体を設立、研究員になった。
ソーシャルな目線で、子どもの社会保障制度に関わる人を増やす活動を始めることにした。
”透明な子ども”を無くしたい。
その思いで研究と社会実装の両輪で進んでいきます。